酒好の器 「酒器の一献」 
『琉球王朝時代 白象嵌カラカラ18-19C』


李朝からの系譜、薩摩の影響の色濃い灰釉白象嵌。琉球王朝時代壺屋古窯のカラカラ(三島印花文と線条文象嵌)です。状態も良くなかなかに貴重な逸品です。今朝の広島は大雪です。地酒の純米吟醸生をちょろちょろと注しついただくことにします。


『初雪 湯割り蕎麦猪口』


昨日は寝ながらに、今晩はやけに冷え込むなあと、布団にくるまりながら思っていたのですが、今朝起きると庭一面に雪化粧。寒い訳ですね。
工房のある安佐南区沼田町は広島市と云いましても、瀬戸内ののどかな気候とは違って、結構に雪が積もります。更に一路北に県北に向かいますと、三次を過ぎ庄原に至れば、もうそこはちょっとした雪国の様相です。
これはよく覚えているんですが、ちょうど大学(美術に転向する以前、生物学系のある大学に一時進学しておりました)の入学式のあった4月8日でしたが、朝から10cm以上も積もっていて、伊豆は静岡から来たばかりの私には本当に驚きでした。えらい所に来てしまったと。ちなみに当時大学周辺はポプラ並木のある牧場があるだけで、娯楽とは無縁の地。そんな訳で、夏にはミヤマクワガタやオオムラサキなども普通にいるのでこれにもまた驚き、元昆虫少年には嬉しい環境でもありました。
 さて、今日は今年初の雪景色を楽しみながらの一杯かと思ったのですが昼には溶けてしまい、ちらほらと時折チラつく程度。まあ、これからが雪見酒の呑める季節になりますね。土モノの瀬戸柳蕎麦猪口も、熱燗や湯割りがよく似合います。手元から腹中まで酒が沁み入るような心地がいたします。


『秋の陶』


先日は見事な月食があり、多くの皆様が御覧になられたことと思います。お月見の頃などは須恵器に惹かれ、いつもは奥にしまってある蓋坏や高坏残欠を、ごそごそと取り出しては眺めてみたくなります。
さて、今回御紹介するのは、味わい深い焼締の琉球古陶徳利に、うっすらと釉跡が残る猿投平盃です。焼き締められ且つしっとりとした陶土の素肌に、土物の美しいフォルムがしっかと酒の意を受け止めてくれます。
ひやおろしや濁酒に実によく合いますし、ゆっくりと器と向き合いながら呑めるところも誠に嬉しいところですね。
虫の音の繁かるこの頃ですが、秋の夜長に焼締陶が静かな彩を添えてくれます。



『暮らしのうつわ 山陰の徳利にドイツ盃』


シンプルで飾りっ気のないドイツのストーンウェア筒盃(17‐18C)に、山陰は須佐・石見地方の小振りな徳利(江戸後期‐明治)を合わせてみました。お互い装飾など全く入っていない生活雑器ですが、そのおかげで形や釉のやさしさがストレートに伝わってきます。
もちろんいざ探そうと思うと、このくらい酒器向きの小徳利(高12,3cm)はなかなか見つかりませんし、ストーンウェアも窯道具を兼ねたもうひと周り大ぶりのものはあるんですが、やはりこのサイズ(高4,4cm)は貴重です。
所謂酒器の王道たる唐津や李朝数寄をも振り向かせるものがあるように思うのですが、ちょっと言い過ぎでしょうか。
ともあれ、さり気無く普段使いには格好の品。これから秋に向けての酒器揃えに如何でしょうか。


『南蛮モノ-つながる海路』


今回はサイズも小振りな愛らしい徳利と盃を御紹介します。徳利の方はドイツのライン川流域のストーンウェア(17C)、ぶち割れでしたので麦漆でつなぎ合わせ、ちょっと贅沢に本金で仕上げました。盃の方は東アジアのタイ北部の古陶(14-15C)。ライン川流域の徳利は輸出用にも大量につくられていたので、東南アジアの海域でも海底から発見されています。日本へも江戸初期にはオランダを通じて入ってきたと伝えられています。盃の方はタイ北部のもので半陶半磁質。タイの堅手盃とでも云ったところでしょうか。タイ古陶と云えば宋胡禄やスコータイなど南蛮島物として茶の湯でも珍重されてきました。江戸当時でしたらこれらも茶人垂涎の南蛮物だったことでしょうね。現在は船ではなく空輸ですが、当時の海路でも洋の東西をつなぐ同じようなモノたちの出会いがあったことでしょう。ちょっと想像しながらの一杯です。


『赤富士を観つつ』


 以前琉球古窯調査中にお世話なった、沖縄県南城市在住の陶芸家宮城正幸さんが新作の焼き締め猪口を届けてくださいました。
今回は、もう一つ茶碗も頂いたんですが、そちらは瀬戸の菊花文のような絵付けに上手の塗り椀のようなきりっとした姿形。琉球の陶芸は、民芸運動を引き受けながら独特の文化を引き継いでいるんですが、その豊かな流れを受け止める器といえるでしょう。
さて今回紹介するのは、ちょっと大振りの焼き締め筒型猪口。
たっぷり呑むのにちょうどいいサイズで、うつわ全体に焼成時の焼締めの景色が広がっています。備前陶ともまた一味違って、焼き締めの景色は自由そのもの。喜名・知花から壺屋、八重山と連綿と続く琉球焼締めの歴史に育まれた、沖縄の風土と作家の成せるところなんですね。
写真でお分かりのように、その猪口にはくっきりと赤富士と思しき景色までも…
富士の麓の田舎で育ってきた私には何とも懐かしい景色です。嬉しくもあり早速今晩の泡盛の湯割りで使わせて頂きました。
古陶調査を通じて、地元の作家さんとの交流も沖縄で始まっています。
うつわとの出会いは、確かに人との出会いでもあるようですね。



『セトモノ』


新年冒頭からまったく地味な物となりますが、瀬戸物といえば焼物の云わば代名詞。寒い夜にまずは一献。燗酒とくれば、瀬戸の素朴さも捨てがたくなるんです。
もちろん唐津や李朝も好いんですが、グっと瀬戸物で呑む酒はなんだか腹に沁みるようで。。実際この季節には欠かせないモノとなっています。




『八重山の瓢型徳利』

金継ぎ工房を始めて、縁あって沖縄の古陶には普段から触れる機会も多いのですが、これはいつもとはちょっと違う品なんです。2007年、早稲田大学會津八一記念博物館を嚆矢に那覇、石垣と巡回した展覧会『八重山古陶-その風趣と気概-』、その図録所載の一品です。
八重山古陶の再発見とでも言うべき展覧会でしたので、その記念的な品が当工房にあるというのは感慨深いものがあります。
だいぶ前の話になりますが、八重山はよくキャンプしながら巡った場所でもあります。まだ波照間でもキャンプが出来た頃で良い思い出です。シャコ貝を採ったり、イラブチャ―を捌いたり。長命草をどっさり入れて汁を作って。林の中に生えているパパイヤを採っては、よくチャンプルーにしました。
その八重山での島に根付いた文化に惹かれ、自分も伝統を活かした美術をやる決意をしたものです。云わば原点と云うべき八重山。その八重山文化の一端として、八重山古陶をこれからも大事に伝えていきたいと切に思う次第です。
さて、合わせました盃ですが、美濃錆び釉耳盃。生まれは化粧道具ですが、ちょこんと付けられた片耳も可愛らしく、瓢箪型の徳利との相性もまんざらではない感じがしています。(2013,10,4)




『ドイツ古窯に李朝』


ドイツは中世からのインク壺はこんな背の高いものがあります。 留学中に伝世のものを見たことがあり、まあそれが実に魅力的ないい味でして。
高根の花を憧れ続け、遂に念願名叶いまして同手のものを手にした次第です。
合せましたのは李朝前期の明器の小壺。口が広いのが嬉しくなります。
洋の東西、ちょっと異色の酒器揃えですが、ロマネスクな趣向とあらば依存がありません。この秋はゆっくり呑みましょう。まずはひやおろしから。うつわが酒席を盛りたててくれます。 

(2013,9,23)



『古壺ビール』




ビールを呑む器というと、ジョッキやマグ、グラスというのが定番ですが、自分ではどうなのかというと、結局は壺で呑むことが多いんです。
壺と言っても手頃でしかも焼締めとなると実はそう簡単には見つかりません。
それで頃のいい壺が手に入ると早速ビール壺に。。写真上はドイツはライン川流域古窯で13世紀頃。続いてちょっと縦長な姿形の壺が琉球古窯、18-19世紀頃の壺屋でしょう。
備前焼きなどの焼き締め陶器はビールの泡立ちがいいとはよく聞く話ですが、さりとてなかなか作家さんのビアマグでは古陶ファンは納得しないところもあって。
そんな時は手頃な古壷で一杯。ドイツや沖縄の古壺は、お勧めの麦酒壺なんです。


『またも土モノ蕎麦猪口』瀬戸(江戸後期)

墨ではなく油彩画のようなとろみのある飄々とした絵付けも魅力的な瀬戸の蕎麦猪口。
なんでもないようで、実に心地よい造り。
口縁までスウっとした伸びあがりは、上手の作りなのではと思わせるほど。
朝顔図と言われなくても、ついロックで使ってしまう、夏の蕎麦猪口。
じっくりと使い込んだ味わいも魅力で、この季節には欠かせないうつわとなっています。



『 ロックは土モノ 』 灰釉蕎麦猪口(江戸後期)


夏になると氷をたっぷり入れて、泡盛を愉しむ蕎麦猪口として数年来定着しています。
(だいぶオークションで土モノ蕎麦猪口は出てしまいましたから、手元が寂しくなりつつ…)
10年数程前までは、太白手とも呼ばれる瀬戸灰白釉の蕎麦猪口など、うんと安く見かけたものですが、最近はなかなか手に入らなくなりました。
古伊万里といったほうが値が高くなるといった価値感でしたから、土モノの蕎麦猪口なんて、薄汚い田舎の猪口として一段と低く見られていたんですね。
いまは古伊万里も、初期やくらわんかなど一部を除くと、手に入りやすくなりました。時代は変わるものです。
この高台付き蕎麦猪口、無地の石皿のような灰薬がかかり、口造りもよれっとしてなんてことはないんですが、当時からいい値がついていました。
李朝の盃が楽に持てる、そんな値を出してまで田舎の蕎麦猪口なんぞを購入。
今思うと安い買い物、酒がグッと美味いんですから。



白磁徳利に白磁盃(江戸中期-後期)



徳利は沖縄で古窯調査中に求めたものです。大きさも好く、何と言っても釉の掛かり具合がたまらないんです。伊万里というより波佐見周辺のものですが、へたな初期伊万里なんかよりよっぽど味があります。盃の方は生まれは紅皿ですが、このへしゃげ方がまたいいんですね。
スタンダードな白磁の合わせで直球勝負。と、言いたいところですが、微妙にクセのあるところがどうしても酒には合いますね。


李朝堅手徳利・盃


ということで、これならスタンダードな酒器でしょう。李朝前期堅手徳利と後期の平盃です。
一見普通の李朝徳利なんですが、実はちょっとだけ珍しい点があるんです。
というのも、轆轤で挽いた後、胴部から頚部近くまでグウッとヘラ削りで成形してあるんです。
撫でた跡ではなくヘラ跡が見えるんです。もちろん時々はあるんですが大抵は撫で形成なので、韓国からの金工専攻の留学生と話が盛り上がりました。彼の伯父さんは、韓国の大学で陶芸の教授で、本人も金工の博士ということもあり、高麗・李朝談義は酒も入りながらいい感じに盛況でした。



琉球喜名古窯徳利(17世紀)に瀬戸片口盃(江戸後期)


 琉球古窯はまだまだいいものがありますね。古備前などの焼締めとはまた一味も二味も違った土の魅力を感じさせます。かなり薄手に轆轤挽きされた美しいフォルム。瀬戸のエンゴーベの片口盃と合わせてみました。どちらも焼き上がりがいいので相性の方もなかなかです。




琉球壺屋古窯マス瓶残欠(18末-19世紀初) とオランダ緑釉盃(17-18世紀)


 琉球王朝時代には、荒焼(アラヤチ)という焼締陶器が盛んに作られていました。これは口縁が欠けておりますが、マス瓶という、泡盛を量り分けするのに用いられていた徳利です。日本で言う片口の用途で使われていたんですね。焼き上がりに変化があり、酒器としても使えます。これで意外に切れが良く、泡盛の古酒をちびちびやるのにも重宝しています。合せているのは、オランダの緑釉盃。内側だけに釉薬をかけているのが特徴です。ブリューゲルなど16-17世紀ネーデルランド絵画にも緑釉はよく登場しますが、やはり内側に釉薬を施しています。
 距離的には地球の反対側くらい離れた両者ですが、酒が絡むと結構いいコンビ。育つのがまた楽しみです。




 ドイツライン川流域ジークブルク古窯(15世紀)と美濃盃(江戸初期)、高麗青磁盃(高麗末期)



ジークブルク古窯のクルーク(手付瓶=ジョッキ)の頃がいいものがやっと手に入りました。一目見て、徳利に使える!と嬉しくなりました。ドイツでは、発掘ものはコレクションとして飾ることはあっても、それでワインを飲んだりということはありませんね。シルバーくらいでしょうか。
とにかく、念願のジークブルクで昨晩は酒が進みました。お相手は美濃の窯傷たっぷりの飴釉盃と高麗末の青磁盃。高麗のほうは工房で金直しいたしました。
備前の徳利に唐津の盃もいいのですが、こんな取り合わせで愉しめるのも、また酒の器の醍醐味ではないでしょうか。



素焼 焼塩壺(江戸時代) 麦酒用に


掘物のようで入手時はかなり土臭かったんですが、冷水からじっくり沸騰させること数回、なんとか匂いも抜けたようです。これからの季節、すっきりしたグラスもいいですが、こんな土のモノもビールに合いますね。潮風をイメージできる焼き塩壺。泡立ちも最高です。