鬚徳利コレクション(No.1-No.17)

No1,初期様式鬚徳利残欠 生産地:フレッヒェン 時代:約1550年~1580年


初期様式鬚徳利の代表的なものと云える一品です。初期の造形にはかなり特別なものがあり個別性の強いものも見られます。そんな特別なものは、窯跡発掘調査時などに発見され、しかるべき公的美術館に収められています。個人コレクターの出る幕はありませんね。
さて、これはスタンダードと云える初期様式。惜しくも打ち割れの残欠で全てのピースがある訳ではありませんが、オリジナル全体像を想像できるには十分な好例です。これでもよくぞ入手できたと、巡り合わせに感謝。もしこれが完品でしたら勿論、いずれかのヨーロッパの美術館所蔵品となっていたかもしれませんね。



No2、 初期様式鬚徳利残欠 生産地:ケルン 時代:約1525年~1550年


 初期様式にあって、口径が大きく鬚男のレリーフが胴部にまで及んでいる、所謂最初期の造形様式を継承する鬚徳利です。残欠ながら鬚男の顏全体をイメージできる貴重な一品。No1、に挙げたものより更に時代のあるもので、肩部には樫の葉の浮彫、骨格を意識した彫の深い顏表現は、何やら威厳すら感じさせます
最初期の鬚徳利を想像するにも貴重な残欠であり、現地コレクターも決して手離さないコレクションアイテム。遠路はるばる日本までよくいらっしゃいましたと、一人で大歓迎したものです。




No3、 初期様式鬚徳利残欠 生産地:ケルン 時代:約1525年~1550年


これも初期鬚徳利の好例。初期のなかでも頚部の細く、比較的小さいサイズのものです。凛々しい顏立ちに鬚下部も四角く造られているのが特徴です。胴部の装飾帯、左右に開くアカンサスの葉、人物メダルまでと豪華に彩られています。レリーフにもキレがあり、キャストがいいですね。個人的には、新羅の装飾瓦など古瓦をふと思い出します。
これも完品でしたら最高峰クラスの高嶺の花。勿論、美術館のガラス越しで拝むことしか叶わぬものでしょう。



No4、 中期様式鬚徳利残欠 生産地:ジークブルク 時代:約1550~1600年


ここで、ちょっと珍しいジークブルクの鬚徳利を御紹介いたします。ジークブルクの鬚徳利は、ケルン製初期様式からすると少し後の形式となる顏立ちとなりますが、陶土の良さを活かした美しい白い焼き上がりは、とても魅力的です。またジークブルクの鬚徳利は、数が少なく完品は更に僅かありません。現地のジークブルク市美術館でも、補修の入ったものしか展示されておらず、完品を所蔵するのはごく限られた美術館となる程稀少です。
本品はジークブルクの特徴をよく現す残欠。偶然片目に窯傷が入り、ちょっとした貫禄も見せます。鬚下部を欠損していますが、ジークブルク鬚徳利の特徴ある顔立ちを伝えることができる貴重な残欠です。



No5、 中期様式鬚徳利残欠 生産地:フレッヒェン 時代:約1500年代中葉


初期様式から中期様式にかけての造形的な変化を見て頂くのには最適なサンプルでしょう。戯画的な笑い顔と云われる中期様式の顔部分の残欠です。左右の口角が大胆に上がっているのが一番の特徴で、最初期の剥き出しの歯が簡略化され、節足動物のヤスデのような形状になっているのがお分りいただけると思います。目には瞳も表現され、左右両眼の幅が狭く、細い鼻筋が通っています。
しかし、鬚部分だけは、ケルンからフレッヒェンにかけての初期様式同様の充実したボリュームと、美しいウェーブが表現されています。初期様式の豊かな鬚を残しながら、確実に笑い顔へと表現を変化させた造形性には注目したいですね。
初期鬚徳利の鬚男の人面が、この時期に笑い顔へと変化する過程をよく現わしています。
(正確には初期様式ケルン製鬚徳利にも、笑い顔を表わしたものが数点確認できていますが、それらは個別性の強い独特のもので、定型化しませんでした。)
鬚徳利の鬚男が誰なのか、また何を意味するものか、諸説ありますが未だこれと断定できる証拠はありません。初期から中期様式にかけてのこの時期に、モデルとなる人物の変化、あるいは鬚徳利の用途や目的の変化などが生じたのかもしれません。この残欠資料から、口角を上げた笑い顔とそれに伴うヤスデ状の歯の表現が、変化の要と窺い知ることができますね。




No6、 中期様式鬚徳利残欠 生産地:フレッヒェン 時代:約1550年



これが中期様式鬚徳利の典型例として挙げられる笑い顔の表情を表したものです。No5、からするとかなり小造りな顔立ちで、口髭下部にはや本来歯を表すヤスデの様な文様がありますね。
実はこのヤスデのような歯の表現には実はちょっと訳があります。ただ単に簡略化しただけではないんです。これに関しては、鬚徳利を語る上で最重要課題の一つと考えています。かなり踏み込んだ話となりますので、有効な残欠をサンプルに例示しながら、改めて次項以降に説明したいと思います。




 No7、 後期様式鬚徳利残欠 生産地:フレッヒェン 時代:約1600年~1650年


典型的な後期様式鬚徳利の残欠です。この時期のものになると、鬚男のパターンは簡略化され民画的な素朴さや愛嬌ある顔、また怒った鬼のような顔になっています。また全体に塩釉特有の凹凸のある豹柄のパターンがしっかりと出ているのもお分りいただけると思います。口縁の欠けた部分にも釉が掛っているので、焼成時の欠損でしょう、窯跡や物原からの出土と思われます。
江戸前期にオランダから入ってきた鬚徳利も、そのほとんどが後期様式です。
この手の物は、日本で時に完品を見かけることもありますね。しかし結構な数の写しが市場に出でいますので、オリジナルのドイツ製鬚徳利をお求めの際はしっかりと御確認ください。有名な古美術商さんでも、あれっと云うことが。。

参考図版
『 ドイツ人の見た元禄時代 ケンペル展』(平成3年)
画面左:長崎市立博物館蔵、中央:逸翁美術館蔵 、右:逸翁美術館蔵




 No8、 後期様式鬚徳利残欠 生産地:フレッヒェン 時代:約1600年~1650年


 骨董雑誌などで鬚徳利が紹介されると、大抵がこの鬚男が登場してきますね。まあ、そう云った意味でも後期様式鬚徳利を代表する人面です。中期に登場した笑い顔とは打って変わって、眉を吊り上げ、剥き出しの歯が牙のように表現されています。怒りの鬼面と云った風体で、ちょっと凄味がありますね。




 No9、 後期様式鬚徳利残欠 生産地:フレッヒェン 時代:約1600年~1650年


鬚男の造形としては、No7で紹介したものに近いですね。しかし釉の流下は水石の中の山河のようで、見どころたっぷり。この景色も多いに魅力となっていますね。完器だったらかなりのものでしょう。ドイツ人の知人コレクターも、このような釉の変化と景色を好んでいるので話が合います。譲って欲しい際の値段も上がります。。




 No10、 後期様式鬚徳利残欠 生産地:フレッヒェン 時代:約1600年~1650年


さて、これもNo9と同型の鬚男ですね。典型的な茶褐色の塩釉です。もう少し厚く釉薬が掛ると豹柄のようなパターンになります。顔全体と、取手や口縁がしっかり残っている好例です。口縁の造形パターンなんかも今後何気に注目して下さい。




 No11、 後期様式鬚徳利残欠 生産地:フレッヒェン 時代:約1600年~1650年

『ニコチャン大王』

怒った鬼面系ですからNo8に近いものですが、もう少し愛嬌があります。こちらをギロっとちょと睨みつける視線を感じます。個人的には、ニコチャン大王(Dr.スランプ) をつい思い出してしまう一品です。
(アカデミックな雰囲気を象徴するかのような、海外の大学卒業式の黒いガウンや四角い帽子。まさにその角帽子を被ったようなものが現地美術館にあるので、参考図版として上げてみました。是非ご覧ください。)

 参考図版『卒業式の鬚徳利君』
フレッヒェン ケラミオン美術館所蔵

卒業式の式典で、代表として式辞を述べるフレッヒェンの鬚徳利君。退職後に改めて大学に入学し学問の道へ。社会人になってからも、大学へ入学することが十分可能なドイツなど、日本との違いには(特に学費)改めて考えさせられるところです。
さて、この参考資料の鬚徳利ですが、窯道具が融着し帽子のように見えるものです。これだけで何だか雰囲気がガラっと変わりますね。馬子にも衣装と言わんでください。まあ礼装ってそれだけで否応なしにそれらしい雰囲気出すんでしょう。(ちなみにこれを書いている私、お会いしたことのある方は御存じですが、鬚にツギハギのボロ雑巾風です。)
 しかしこの帽子と云う観点は、初期様式から含めて鬚徳利についての考察には必要不可欠なところなんです。現存例はあまり多くはないのですが、当時は金属製の蓋が付けられ ていたことが多く、その蓋には飾り兜のように装飾豊かなものもありました。ボディと蓋と合わせて全体像を攫むことが、当時の鬚徳利の在り方を追求する手掛かりの一つとなるものでしょう。





 No12、 後期様式鬚徳利残欠 生産地:フレッヒェン 時代:約1600年~1650年

『ちょっと、あの娘が気になって』

こちらが大事な話をしていても、いつもチラチラと右の方ばかり見ていて。何があるんだろうと、こっちが気になります。丸いクリクリした瞳におちょぼ口と、何だか可愛らしい鬚徳利。時代的には鬼面の怒り顏と同じですが、ちょっとした造形の違いから、がらっと表情が変わるのも面白いですね。子供のような興味津々の表情をもつ鬚オヤジ。もしくは可愛い女の子を見つけたのか。。





  No13、 後期様式鬚徳利残欠 生産地:フレッヒェン 時代:約1600年~1650年


 今度はこちらを見てくれているんでしょうか。まだ少しあちらがの方が気になるのかも分りません。まあ、それはさて置き、No12と同形の顏ですが、視線の方向なんかも微妙な具合で表現されるもので、顔部分の粘土板の張り付けや釉薬の掛かり具合などで、やはり表情に違いが出てきますね。顔に対して、普段から私たちが如何に繊細な造形感覚をもっているのかに改めて気付かされます。また割れたパーツを継ぎ合わせておりますが、口縁部から胴部のオリジナルのワッペン部分までが残っており、参考資料としても貴重な残欠となっています。




  No14、 後期様式鬚徳利残欠 生産地:フレッヒェン 時代:約1620年

『メンチ切る鬚の兄ちゃん』

同じ怒り顔でも、こちらのお兄さんはメンチ切ってます。もちろん頭にも剃り込み入ってます。ちょっと危険な香り漂う今回の説明は、無用な説明を省き、日本語俗語辞書より抜粋引用させて頂きますのでどうぞ御覧ください。  

日本語俗語辞書 
メンチ切るとは、睨みつけること。
【年代】 1983年   【種類】 不良・ヤクザ用語

 メンチ切るとは睨みつけるという意味で、関西を中心に使われる言葉である。この場合の睨みつけるとは、主にケンカを売ったり、言いがかりをつけるために行うものを指し、メンチ切るも1980年代のツッパリブーム以来、不良が好んで使う言葉であった。メンチ切るという行為は不良同士がすれ違いざまにしたり、ヤンキー座り(うんこ座り)して下から睨みつけるといった形が多い。(以下省略)
http://zokugo-dict.com/34me/menchikiru.htm




  No15、 後期様式鬚徳利残欠 生産地:フレッヒェン 時代:約1600年~1650年


 特に変わり映えのしないような細面の後期様式の鬚徳利なんですが、よくご覧頂いているうちに見えてくるモノがあります。ナニが見えてくるかと云いますと↓

 拡大写真

 そうです。顔の真ん中にあるモノは男性器です!鼻かと思いきや鼻孔の膨らみは左右の玉でして、中央の鼻筋から上へ、そこにはギリシア彫刻のようなチョコんとした少年のような姿ではなく、まるで秘宝館的な立派な出で立ち。そしてアッカンベーと舌を出して、さも知らん顔といった具合。どうですか、見えてきましたか?見えてしまった貴方は、既に立派な鬚徳利中毒です。

さて、重症の私が言うのもなんですが、これはまんざら穿った見方でもないかもしれません。と云いますのも、ジークブルクなどでは、実際それで顔を作ってみましたと云わんばかりの手付き瓶などがあるんです。本品も鬚面中に小さいながらに立派な一物を冠し、当時は隠し絵的なまさに秘宝徳利だったに違いありません。

参考写真『珍宝様』
ジークブルク市美術館所蔵

現地ジークブルクの美術館に鎮座まします珍宝様。留学中にしっかりと御姿を写真に収めて来ております。実際に鼻と耳まで表現しているんですね。玉でもって鼻孔の膨らみを表わすのはよくあるパターンですが、顔の左右に配されたときは、玉部分がなんと耳たぶになるとは(ちょっとした福耳ですね)。なるほど。。ちなみに目を表わしているのは、同時代のガラス製品と共通する、小さい突起状の貼花技法による装飾。また全体的にジークブルクらしい燈色が出ています。器全体を顔に見立てるなら、高台部分のビラビラは、鬚かもしくは襟飾りや首飾りと云ったところでしょうか。鬚の可能性も十分ありますね。そうなるとまた面白くなってきます。

(ちなみに、このビラビラした高台はドイツ語で”ヴェレンフース”といいます。日本語には”波脚高台”と私は訳しております)




  No16、 後期様式鬚徳利残欠 生産地:フレッヒェン 時代:約1600年~1650年


怒り顔と云う程迫力もなく、かと云って愛嬌がある訳でもない鬚徳利。まあちょっと臍を噛むと申しましょうか、しくじったのは顏を見ればわかります。特徴としては鼻の左右にある3本のチョビ鬚ですが、これもダラリと冴えない様子。本来ライオンから変化した猫系の顏なんですが、これではなんだかちょっと冴えないネズミ男風ですね。この下唇を噛んだ様子、個人的には好きなんですが。




   No17、 後期様式鬚徳利残欠 生産地:フレッヒェン 時代:約1700年
『鬚の”ニンヤ徳利”』

茫洋とした表情は、一体何を思い、どこを見つめているのでしょうか。以前地元の某美術研究所にいた頃のことですが、大体において彼女ができたとかその手の話になると「死んだ魚ような眼をしている」と、よく云われたものです。本人そんなつもりじゃないんですが、もしかしたらこんな顔をしていたのでしょうか。。ちょっと人事でない、妙な親近感を感じる陶片です。
それはさておき、顔の特徴としてはタラコ唇のようにも見えるのは、上部が口鬚で、下部はヤスデ状の歯の一列です。目の上にあるのは、忍者漫画などでおなじみの額当てを彷彿とさせます。なんだかそういわれると、頭巾をかぶっているみたいだし、鬚ならぬ口当てをしているこれは忍者装束でしょうか。
そうです、実は何を隠そうこの鬚徳利氏。フレッヒェンは忍びの里の、鬚の長老だったんです。なんて想像も楽しいですね。ちなみに忍者は海外では「Ninja」と記すことが多いですが、ドイツ語ではja=ヤと発音するので、忍者=”ニンヤ”と呼ばれています。留学当時、テレビでニンヤ特集などあると、つい嬉しくなって見てしまいました。